2014年4月6日日曜日

わかってあげられなくて


3歳半の娘は、寝るときに「絵本読んで!」が習慣です。
今日も歯磨き前まで、2冊の絵本を抱えていました。
「歯磨き終わったら、読んでもらうんだ!」と思っていたんだと思います。

いざ、歯磨きが終わって、布団に入ると……絵本を1冊しか持っていないのです。
「あれ? もう1冊はどうしたの?」と聞くと
「『あ~んあん』読んで」としか言いません。

『あ~んあん』とは、彼女が今持っていない絵本のタイトルなんですが……。
持ってきていない絵本を読んでと言われても……。
困った私は「持っておいで」と言うのですが、いつもならすぐに持ってくる娘がなぜか「読んで」しか言わないのです。
本当に困ってしまいました。

「じゃあ、絵本を一緒に探しに行こう!」と言って、本棚に行ってみても、さっきまで娘が持っていた『あ~んあん』は見当たりません。
寝室にも、歯磨きの洗面台にも見当たりません。
私はあきらめて「ないから、他のにしよう」と言いましたが、娘は泣きわめき「どうしても『あ~んあん』がいい!」と言います。
それがいつまでも泣きわめくし、絵本はないしで、私もイライラし始めました。
「じゃあ、もう読まないで寝よう!」と言ってしまったのです。
もう、娘は号泣!!!

そのとき、ふと思ったんです。
さっきまで持っていた絵本。
娘は、それをどこにやってしまったのか、本人もわからないんじゃないかって……。
私は、「どこに置いてきたの?」「持っておいで」「あっち?」「こっち?」と彼女に聞いてばかりいました。
それは、彼女が絵本のありかを知っていると思い込んでいたから……。

彼女もわからなくなっている。
そんな簡単な事実に気付いてあげられるまでに時間がかかってしまって、大泣きさせてしまいました。

「もしかしたら、この子もわからないのかも」と思ったら、さっきまでイライラしていたのが嘘のように消え、
「わかった! もう一度一緒に探そう!」と言うことができました。

泣いている娘を抱っこしながら、もう一度探します。
今度は本棚や洗面台などだけではなく、彼女がわからなくなってしまいそうな……
どこかの隙間や、裏、入れ物の中まで。
すると! さっき娘が歯磨きしていた洗面台の隣のタオルを入れている棚の裏に、探している絵本がすっぽりと隠れていたのでした。

見つけて一安心。
娘は、笑顔になるどころか、絵本を抱きしめてほっとした顔をしていました。
確かに、この絵本は彼女が赤ん坊のころから気に入っていて、繰り返し読んできた本です。

布団に入り、「絵本あってよかったね」と声をかけると、本を抱きしめたまま大きくうなずきました。

どうして、こんなにも簡単な子どもの気持ち・状況に気付いてあげられなかったのかと、反省。
彼女の立場になって考えればすぐにわかることだったんです。
「自分でも、どこにいっちゃったかわかんない」という表現は、彼女にはまだできなかった。
「読んでほしい」としか言えない。
そのことに気付けなかった自分の視野の狭さ、思考の柔軟性の欠如に直面した気がします。


子どもが大きくなって、状況が変わっても、こういうことは変わらないのかもしれません。
子どもが不登校になったりした時、親は子どもの気持ちがわからなくて苦しくなることがあります。
子どもが苦しんでいるのはわかる。でも、その理由や苦しみがわからない。
わからないから、イライラするし、責めてしまう。
「どうして行かれないの?」「何がいやなの?」って。
親も辛いからね。ついそうなります。
でも、子どもも自分の状況がよくわかっていないことが多いように思います。
自分が何に苦しさを感じているのか。なぜ学校に行かれないのか。
本人だって、理由がわからずに苦しんでいる。
うまく説明もできなくて、ただ「苦しい」としか言えない。

その出口はどこにあるのか?
どちらかが、これまでと違った思考を試すことだと思います。
親でも子でもいい。
どちらか先に気付いた方が、まずは堂々巡りの苦しみから違う方向に目を向けてみること。
そこからきっと違う何かが見えてくるんだと思います。





0 件のコメント:

コメントを投稿

あけましておめでとうございます

せかい卵、7年目の春を迎えようとしています。 設立記念日は2月14日。 バレンタインデーと同じです! 私は、春にブログの更新をがんばるぞ! みたいなことを書いていましたが、全然書けませんでした。 …… その代わりと言っては何ですが 私の目標をここに書いておきます。...