2014年3月11日火曜日

3.11


今日で、東日本大震災から3年経ちました。
14:46黙祷のためのサイレンが鳴りました。
授業中でしたが、職員室でも教室でも、皆黙祷をささげていました。

私は、東日本大震災のとき、東京に住んでいました。
このときの地震がきっかけで上五島に移住してきました。

今日、この3/11を迎え、朝からなんとなく落ち着かなくて
心の中がザワザワしていました。
今でも、思い出すと不安になる。
震源地にいたわけでもなく、津波が起きたわけでもないのに、
それでも、これだけ不安になるのだと、
自らの胸に刻まれた不安感を今日改めて実感しました。



もともと東京で生まれ、東京で育った私は、
3年前、東京の郊外に家族3人で住んでいました。
あの震災のとき、私は生後4ヶ月の娘を抱いて部屋にいて、夫は風呂場にいました。
大きな揺れが何度も何度も繰り返し襲ってきて、娘を抱きながら
「今度揺れたら、どこに隠れればいいの?」と不安にかられていたのを覚えています。
ただ、家族が同じ家の中にいられたことが心強かったし、安心材料でもありました。

テレビをつけると、何度も何度も地震の映像と津波の映像。
繰り返しやってくる地震の度に、震源地と震度を表す地図が表示され、
アナウンサーの緊迫した声がずっと続いていました。
そのうち、福島の原子力発電所の事故が報道され……不安はますます大きくなりました。

数日の間、地震と報道が繰り返し続き、
そのうち、東京の水道水から放射能が検出され、大騒ぎになりました。
あわててスーパーに行きましたが、すでに水は売り切れ。
水どころか、様々な食料が棚から消えていたのを生まれて初めて目にしました。
仕方なく、自動販売機をめぐってみましたが、水はどこにもありませんでした。

ちょうど娘が離乳食にお粥を食べ始めた矢先の出来事でした。
東京の水道水では、お粥は作れない!
そう思って、娘の離乳食を遅らせることにしたのです。
もちろん、母乳をあげている私も水道水は飲めません。
水源地の違うところに済んでいた妹が、わざわざ水を運んできてくれ、
それで何日かしのいでいました。

東京に放射能汚染のホットスポットがある!
そんな報道が出ると、もうどのニュースが真実で、何を信じていいのかわからなくなりました。
今思えば、生後4~5ヶ月の乳児を抱えていた私は、かなり敏感になっていたのかもしれません。

「安心して子育てできるところに行きたい!」
4月下旬には、福井の別荘に非難。
そこで、移住先を探し始めました。
20代の頃に旅行に行った五島列島。
とても穏やかで美しい島だった……と夫に話すと
「いいよ。島暮らしいいんじゃない?」と即答。

5月上旬には上五島と下五島に家探しに行きました。
そして、上五島に決めて7月下旬には移住。
すべてが急ピッチで進んでいたように思っていましたが
私たちより早く、お隣に済んでいた親子は海外へと移住していました。

子育てをしている友人からも相談されました。
あのとき、東京に残る選択をした人もいれば、
日本の中で西方面へ移住した人も、海外へ移住した人もいました。

今思えば、3/11でいろんな人の人生が大きく方向転換したのだと思います。
こんな大した被害にもあっていない私でさえ、その一人なのだと
今日、改めて思っていました。



もっともっと、大きく人生を狂わされた人たちがいます。
大切な人を失った人たちがいます。
道半ばで命を失った人たちがいます。

改めて、黙祷をささげます。




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